中学受験とストレス:子供は自分と違う人間であるという意識について考える
子どもの計画性のなさにイライラすることって皆さんないでしょうか?
先のことを考えて今これをやっておこうって、なかなかわかってくれないですよね。
私の家庭でも、毎日のようにこのことについて妻とストレスを溜めている状態です。
「計画性をもってくれない」
「とにかく後回しにしたがる」
「どうしても遊びを優先してしまう」
もしくは、勉強のできる・できないでもやはりイライラしてしまいます。
「なんでこんなこともわからないのかな」
「自分の子供のころはこんなに苦労してなかったけど」
恐らく自分の子供時代が美化されている部分もあろうかと思いますが、親とはいえ、子供ができない、どこでつまづいているかは、理解できない時があります。
他人ではないけど、同じ人間というわけではなく、自分の分身でもない
娘は、どちらかというと私に似ています。
不注意が多く、集中力が続かないところ。
実利(ゴール)が明確に見えないと動けないところ。
あと、顔も似ています。
そんな私でも、娘は違う人間であることを毎日実感しています。
ふとした瞬間にこれを忘れてしまい、どうしても自分の感覚で話してしまいます。
妻と子供が寝た後で、1時間、ときに2時間ほど子育てのことで話をするときも、接し方の話をするのですが、これだというものがなかなか見つかりません。
そんな中でも今後気をつけようと思ったことを書き留めておきます。
日々、改善です。
娘を見ずに、できないという事象のみを直視する
”娘”というものを見るとき、私は親としていろいろな感情が乗っかります。
「愛していること」
「やはり自分の娘がかわいいこと」
「期待していること」
ただこと勉強のことになると、できていないことや課題といった”事象”に注力してみようと思いました。
娘を叱ったり、言い合いをしても、あまり生産的ではなく、共にこの”事象”に対面し、乗り越えようと。
娘でなく、娘と同じ方向の一歩先を見ていこうと思います。
先の予定を見せる

私の家ではこれまで、あまり家族の先の予定を見える化して共有することを積極的にしてきませんでした。
土曜・日曜の休みの過ごし方は最たるもので、時間が空いたから公園行こうか、買い物に行ってみようかとかそんなもので、行き当たりばったり決めてきたのです。
それ自体、変えようと思っているわけではないのですが、これからは少なくとも、土日のこの時間帯は家族の時間として確保するもの、というのを見える化しようと思います。
一週間の予定表を作って、どの時間で何をやるのか、決めることで、勉強に充てる時間をきちんと把握して、今やるべきことは何かを考えて行動していけるようにします。
子供は変えられなくても自分は変えられる
よく他人は変えられないので、自分の行動を変えましょうと言われますね。
これって、なんで自分の子供だとこうも意識できないものなんでしょうね。
本当に難しいです。
これからは、自分の行動を変えることを、そしてむしろ親である自分を自分で叱責して前に進めるようにしたいと思います。
本当は仕組み化して意識せずともこういう行動につなげられればいいのですが、それは継続的に考えていきます。
雑記になってしまいましたが、それではまた。